愛と死の妄想  feseppuku.exblog.jp

ショートな妄想フィクションを書いています


by kikuryouran
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桃色の男根

切腹すると決めて、彼のYシャツだけを素肌に着けた。彼の背は高い、シャツの裾は私の膝までとどいて、袖を一折りしてやっと手が出た。胸元は私とそんなには変わらなかった。思い出してもまだ二十歳前の彼の裸体は、ギリシャの彫刻を思わせて美しくも華奢で、無駄な脂肉はついていなかった。細い腰、締まった尻、しなやかで長い脚、濃い繁みの中で男根は萎えても美しいフォルムを保っていた。硬度をもったそれは神とさえ思え、私には彼の体臭さえも芳しかった。以前に彼がくれたナイフを引き出しから取り出した。刃先は鋭く刃渡りは20センチほど、日本刀を思わせる優美な姿で、切腹するには充分と思えた。
好きな女が出来たからこの部屋を出て行くと聞いた時は、仕方ないと思った。彼にはそれが良いことだとも思ったし、恨み言を言うつもりもなかった。けど、あの言葉はきつかった。いまさら変態よばわりするなんて。彼だけには、そんな言い方をされたくなかった。その言葉がどんなに私を傷つけるかを知らないはずはないのに。打ちのめされ、悔しい思いを隠して、私は黙って彼を送り出した。

二人で暮らしてもう一年ばかり、このままでいけるとは私も思っていなかった。彼は根っからホモにはなれないとわかっていたし、彼が私をもう必要としないのも知っていた。いつかはこんな日が来ると、ぼんやりとした予感もあった。
何もかもが灰色のまま、彼の帰ってこない部屋に私は何日もこもっていた。彼を責めずに自分を呪った。彼にはきっとこれでよかったと思いながら恋しくて泣いた。彼はいつも手で慰めてくれ、私も彼を慰め、ひざまずいてよく口で受け止めた。私は彼を抱き締め結ばれて果てたかったのに、いつも身体の交わりを彼は拒んだ。でも、心はきっと通っていると信じていた。
もう何年も前、私は人並みに女を愛そうとして、男性に魅かれる自分に気がついた。自分を偽る苦しさに悩んだ末、私がそんな自分を受け入れるのにどれほどかかったろう。彼と出逢って、もう自分の気持ちを抑えられなかった。彼を愛している。それは確信といってよかった。一年ほども前の桜が咲き始めた頃、私の告白を受け入れ、愛せる喜びを彼は私に教えてくれた。そんな彼の口から出た忌まわしい言葉。自分に正直であろうとするのが変態なのか。男しか愛せない男がそんなにも汚いのだろうか。彼がその言葉を口にした時の、蔑(さげ)すんだ目を思い出して、今も惨めで悲しく辛い。私は彼を責めることなく、自分の性癖を呪い恥じた。彼からそんな目で見られる自分を許せなかった。自分を恥じ消したいと思った、存在した事さえも消してしまえればと。こんなにも呪わしく醜い身体を切り割いて、愛に殉じて死ぬ。きっと汚れた血が噴き出すに違いない。彼のいない世界では、自分にはもうそれしか道は残されていないと思った。

シャーワーを浴びて素肌に長いYシャツだけを着た。ブリーフを穿こうかと少し迷った。呪わしい肉塊を最期に切り取ってしまいたいと思った。すでに狂気になっていたのかもしれない。どうせ死体になって醜い裸で晒される、下着なんてと穿かぬと決めた。彼の写真と最期の乾杯をした。
「さようなら、お前に巡り会えて本当によかった。」
一気に飲み干すと、喉を焼いて苦い塊りが流れ落ちてゆく。別れの言葉を口にすると、笑っている写真の顔が乱れ歪んだ。

床に座って、ゆっくりYシャツのボタンを外し、裾を後ろにはねた。ナイフを抜いてハンカチに包む。見下ろして腹を撫でながら、下着を穿かなかった事を少し後悔した。濃い繁みと萎えた男根が見苦しく見えた。
切っ先を下腹に当てて力を込める。チクリとした痛みが走って血が滲む。緊張で汗が噴き出す。手が震えてズブリとは入らなかった。幾度か躊躇いの傷をつけて刃先を滑らせると、後からふつふつと血が噴き出し、握ったハンカチが赤く染まり始めた。腹に力を込め、臍の下を右の脇まで一筋切り、その下をもう一筋ゆっくりと切った。傷からは、すだれのように血が流れ出していたが、痛みは感じなかった。手がぶるぶると震えて全身の筋肉が痙攣し、頭の中の血管が切れそうに収縮を繰り返した。耳の奥で早鐘が鳴り続けている。私は彼の名を呼び続け、昂ぶりは限界に差し掛かっていた。
くさむらの中で男根が屹立していた。雁首に血がたまり、ぬるぬると濡れている。片手で握り締め、ナイフを根元に当てた。手の中で膨れた肉塊がびくびくと脈打って命を主張していた。ひと掻きすればそれですべてが終わる。忌まわしい同性愛者には相応しい死に方だろう。ナイフを持つ手が震えて定まらない。心の中で覚悟を嘲笑う声が聞こえた。恐怖の瞬間といってよかった。
鈴口先が涙を流しているように見えた。彼に握り締められているように思えて、彼の命を握り締めているようにも感じた。狂ったように指を使った。頭の中を悲鳴に似た咆哮が木霊して、白く淡い液体が噴き出した。Yシャツの裾で拭うと、血に混じった桃色の精液が、悲しくも美しいピンク色の模様をつけた。目くるめく弛緩と虚脱の中で、緊張の糸が切れたのかそのまま眠りに入ったようだ。

喉が渇いて目が覚め、水道の水をたて続けに二杯飲んだ。人の歩く音が聞こえて、外は普段と変わらない日常がもう動き始めているのがわかった。浅かったのか傷口は血がすでに固まりかけている。白いYシャツはあちこちに血がついて黒ずみ、裾にきれいなピンク色の男根が写し取られていた。脱ぎ捨ててシャワーを浴びると、腹の傷がひりひりと沁みる。腹が減ったと感じて、もう何日もまともなものを食べていなかった事に気が付いた。外に出ると歩く度に腹の傷が痛んで歩を緩めた。シャツにつけられた桃色の男根を思い浮かべ、心の殉死を遂げた気がして、脱力感が身体中を覆っていた。街中の喧騒が懐かしい気がして周囲に目をやる。すべてが新鮮に映って、何を食おうかと考えながら、ゆっくりと足を運んだ。見上げると通りの桜がほころびかけている。もう昼近くの空が眩しかった。


この作品は同性愛者の方が読むことを想定して書きました。一部に不穏当不快な表現があるかもしれませんが、決して誹謗中傷のつもりはなく、自分を偽れない男性の悲しみとピュアーな魂の苦悩を表現しようとした結果です。ご理解ください。切腹物というには逸脱した感がいなめませんが、同性愛者の自己破壊願望、偏見への悲痛な叫びが拙い文章からお汲み取りいただければ幸甚に存じます。男であれ女であれ、愛に傷ついた者の悲しみは相通ずるものだと思って書きました。(作者 拝)
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by kikuryouran | 2006-02-14 12:39 | 同性愛 | Comments(0)