愛と死の妄想  feseppuku.exblog.jp

ショートな妄想フィクションを書いています


by kikuryouran
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地球滅亡の日


社会の仕組みのすべてが機能を停止していた。
「こんな時に遭遇するなんて、俺はなんて不運なんだ。」
「私はあなたと一緒に死ねる幸運に感謝するわ。」
『しがらみ』から解き放たれ、死を共にする者だけが寄り添っていた。
人々は愛を交わし合いながらその時を待った。
彼らを一瞬で消すために、暗黒の大王が空を覆った。


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Commented by 小丸 at 2015-10-28 14:33 x
Kiku さま、―愛と死の妄想―1
“男と女を存在させる神の意志があるとすれば、何処にあるのかとは思います”

神道信者だった母から学んだことを思い出しています。
万能の神様は永遠に続く“もの”なら、いくらでもお創りになれるのです。でもそれは、単なる神様自らと全く同じ“もの”で、いくらお創りになっても変わり映えもしない“もの”に過ぎません。現に八百万もの神をお創りになっていますし、少しお飽きになったのです。
神様は自分とは一味「違った形」で永遠に続くことが出来る“もの”をお創りになったのです。その名を“生命”とお名付けになったのです。“生命”を創ったときに使った素材は神と同じ素材ではなく、もっと柔な素材でした。出来た“生命”の最初の一つには時間的な“限り”があったのです。こんな柔な生命を繫いでいくために、神様はわざとそれを二つに別けて雄と雌をお創りになったのです。そして、その二つがお互いに相手を求め合うように仕掛けられたのです。
雄雌が相手を求めて交配すれば必ず新しい生命が生まれる。その代わり、交配した雄と雌は果敢なく死んで逝く。だが“生命”は継承される。この果てしない繰り返し、尽きない連鎖によって神様が新しく創った“生命”は神様と同じように、絶えない、消えない、去って逝かない、永遠に!
雄雌の相求める気持が無くならない限り、“生命”は神様と同じように永遠に生き続けることができるのでした。この雄雌がお互いを相求めるよう仕組まれたエネルギーこそ、人間の“業”、またの名を“本能”、言い変えれば“慾望、又は性慾”。

このことを人間が決して忘れないようにするために神様は、交配に当たってご褒美を、その、“至上の快楽”を与えて下さった。男にも与えましたが、出産で負担が多くかかる女にはとびきり贅沢にお与え下さった。「嫌になったり飽きたりしたら駄目よ..ほら、こんなに沢山あげる、いいの、好きなだけ“やって”いいのよ」。
何よりの証拠が、クリトリス。人体の器官にはすべて、お勤めすべき仕事、つまりミッションがあるのにここだけは、性的快楽を呼び起こし増進させることだけがお仕事なの。男にはない、男女は公平ではないの。それを知ったイスラムのムハンマドが始めた愚かな蛮行が“割礼=クリを切り取る”。男の嫉妬が生んだ狂った蛮行!そんなことで女にだけに授けられた神の恩寵は途絶えませぬ。(続きます)
Commented by 小丸 at 2015-10-28 14:38 x
―愛と死の妄想―2

性慾を使うとしっかりと“生命”を伝えることは出来るけど、自分は死ななければならない。「花は散る前に必ず咲く」。それが創造主神様のお定めになった摂理、またの名を掟!
だから、激しい交配で慾望の赴くままに燃え上り、快楽の絶頂を極めた時、人は必ず死を思う。「良かったぁ、」と言う前に、「逝ったぁ、」と叫ぶの。
逆に人間が“死”を思うとき、極く自然に激しく欲情し、燃え上り、飽くなき悦楽を追い求める。これが神様が仕掛けた仕組みなの。

だが、人は勝手気まま。神様の初めの設計から離れだし、“慾望”が一人歩きを始めちゃうの。頂いた性の快楽はあまりに強烈だった。それの誘惑はあまりに魅惑的だった。男も女も種族保存など全く関係なくセックスの快楽だけを追い求める。
それが証拠に、人間以外の生物には神の定めた交配時期があるのに、人はそんな“しがらみ”からはさっさと脱けて、年がら年中セックスをやりまくるようになる。快楽追求の為には、種の保存を嫌ったり、同性者と悦楽をつくす不毛のセックスの方が好きになったり、神の畑は大いに荒れつくした。そう、もう世は末世かも!.....地球の最期はもう近い!!

そんな中でも絶対に変わらぬことがある。
死を思い、死に直面すると、人は激しく生を思い出し、激しい欲望が目覚めてくる。そう、もう一歩進むと逆に、激しい性慾を燃え上げさせるために、“死を思う。死を願う、ええ、死にたくなる!!”込み上げてくる慾望、激しい慾望に身を委ね、逝きつくところまで溺れたい、ああこの、ひたむきな気持こそ

自然に体の芯から燃え上ってくる慾望、そう、貪欲な性慾に身を任せ、のたうちまわり、狂いまわる!この魅力は堪らない。この魔力からは逃れられない。
人は死ぬときは唯一人、一人ぼっち。どんなに愛し合った仲の心中でも、そう、男女でも女同志でもよい、相対死で、よしんば刺し違えながら相手の急所を刺し合うような時ですら、死ぬのは一人、ただ一人だけ!
(もう少し続きます)
Commented by 小丸 at 2015-10-28 14:41 x
―愛と死の妄想―3

「女性が真剣に死を想うとき、死にたくなるとき、死に憧れるとき、死が恋しくなったとき、体の芯から昂ぶってくる官能の疼きに身を任せるのがいいの」
「将来、死が恋しくなるかもしれない、そう思うなら、必ず“子”をなしておくことが大切なの。男に抱かれて、男の激情に触れ、男の情の激しさと底知れぬ虚しさをよく知っておくの。それではじめて女の底知れぬ業の深さが分かるの。子をなすことは神様の摂理に適ってるの。死刑囚が絞首台の13階段を昇るとき、男女とも、子をなした人は素直に昇れるが、子をなさなかった死刑囚は足が萎えて歩けなくなって看守に多大な迷惑をかける、と言うわ。次世代を創れなかった人は、“やり残したこと”があって、死ぬに死ねないのよ。次世代を創って神のご威光に沿った女のみが、死を扱うことができるのよ」

これが母の訓えだった。官能の疼きに素直に従うのが神様の摂理に適うのよ。官能の疼きに逆らわず、迷いもなく、神様がお決めになった“女にもっとも相応しい死のあり方”に自然に近付いてゆくの。それこそ、女の切腹なのよ、と。

母の訓えに従って男と付き合い、きちんと子はなしました。
暫く経って、何時か死に憧れ、底知れぬ快楽を求めるようになり、母から訓えて頂いた切腹の手順に従って何度お練習を積んできたことでしょうか。ええ、何時も、ただ単に切腹の準備をするだけでもう、襲いかかる快楽の予感が芯底から湧きあがり、わなわなと震え、女がしとど濡れてしまうこの私.....

しっかりと覚悟して、愛剣の切っ先で本当に肌を裂き、切り進んだことが何度あったことでしょうか。その度に確かに、恐ろしいばかりの痛みだけでなく痛みに混ざって、耐えがたいほどの快感が身を駆け巡ります。でも、やはり死ねなかった!これも女の“業”なのでしょうか。

ああkiku さま、お恥ずかしいことです。でももしかするとこれが女に生まれた者の宿命かも.....。ああ、もう駄目です。すっかり燃え上り、濡れてしまって、もうこれ以上綴れませぬ。これが本当の「愛と死の妄想」かも...

女の狂おしいまでの激しさ、慾の深さ、哀しさ、可愛さ、いとおしさ、美しさ、恋しさを綿々と綴られる貴女さま、ただただ、お慕い申しあげます。
ー完ー


Commented by kikuryouran at 2015-10-29 00:59
> 小丸さん
長いコメントありがとうございました。
伝承の言葉には含蓄がありますね。
生と死、継がれる生命と性の神秘がいつから汚らわしく扱われるようになったのでしょう。
つい先頃まで、性は神聖なものとされていた筈なのですが。
いろいろな意味で、私たちは知識に毒されている気がします。
このコメントの中に含まれている意味を噛み締めて、私なりの妄想も書いてみたいですね。
本当にありがとうございました。
Commented by 小丸 at 2015-10-29 16:28 x
お読み頂いて、本当にうれしい!
うまく言えませんが、心の中に密かに暖めていて、しかもほとんど毎夜、人目偲んで死に焦がれ、快楽の絶頂を求めて彷徨うのが習わしとなってしまった私にとりまして、Kikuさまのお言葉は勿体のうございます。分かって頂けるだけで充ち足りた思いです。

Commented by kikuryouran at 2015-10-30 07:54
> 小丸さん
欲情の昂(たかぶ)りは、生命を産むための神の黙示だった。
その快楽(けらく)の絶頂に、死の予感がある。
愛は死を彩り、恋は生命を燃やす煌めき。
死に憧れ、淫情に彷徨う女の性(さが)は自然の摂理。
男は女の快楽を援ける下僕にすぎない。
逞しき男根に貫かれる夢を見て、猥らな女陰は夜毎悶え喘ぐ。
Commented by 小丸 at 2015-11-01 11:43 x
逞しい男根に貫かれて、芯から込み上げてくる激しい快感に身を委ね、
悦楽絶頂寸前の炎の慾情に我をわすれて淫らに喘ぎながら思う......
“男は女の快楽を援ける下僕にすぎない”...
でも男はもうすぐ絶頂に達して逝っちゃう。ああだめ!萎えないで!
ああ、もしこれが逝かずにもそっと続いてくれるなら―
ああそう、もしこれが短刀の切っ先ならば萎えない!
きっと、もっと、もっと悦ばしてくれる、ええいいわ、死んでもいい!
しっかりえぐって!死ぬほど悦ばして、ああ絶頂で死にたいの、果てたいの!
それこそ神の尊い摂理なの!ああ、切腹さま!
Commented by kikuryouran at 2015-11-01 17:55
> 小丸さん
u---m---
あなたにつかまった男って、幸せなのか不幸なのか。
(笑)
絶頂で死ぬ幻想はありますね。
ただ、春情を解さぬ女性が増えているようにも思います。
自然の摂理なのにね。
Commented by 小丸 at 2015-11-02 13:20 x
“あなたにつかまった男って、幸せなのか不幸なのか”
みんないい人で優しく、快楽に昂ぶって絶頂間際で生死の境を彷徨う私を「殺してあげよう」と力の限り尽くしながら、果てていった男たち....
見事に神の摂理に殉じて逝った!幸せだったはず.....

わたしがカマキリなら逝った男を食べていい!それも頭から真っ先に!
カマキリは、頭が喰い尽くされても性器に残った精をとことん吐き続ける。
可愛いい男!慾深なわたし!

“絶頂で死ぬ幻想はある“
性的快楽が昂ぶっていって絶頂に近付くと和洋を問わず女は「死ぬ、死ぬ、死にそう、死なせて」とか「いく、いく、いかせて、いっちゃう」などと口走る。誰が教えたわけでもないのに、自然に迸り出てくる女のよがり声...
これこそ神様が仕組まれた究極の愛の極意かと.....可愛い女!

“春情を解さぬ女性”
ただただ、可哀そう、不幸の極みね...
多分、“いろいろな意味で、私たちは知識に毒されている気がします”。
その通り、慾深い人間は、神に隠れていろんなことを開発して得た毒で自らを勝手に束縛した。春の訪れにすなおに催せず慾望に溺れることが出来なくなって、ただただ哀れ、可哀そう!

Kiku さま、人さまざま、あれほど幅広くLGBTの世界にまで深く見つめ続けられた貴女さま、すべてごご存知のはず.....ああ!

Commented by kikuryouran at 2015-11-02 15:08
> 小丸さん
しかし、あなたという方はどういう方なのか。
(苦笑)
知識も感性も充分、いろんな経験もありそうです。
こういうお話はマスメディアでは聞けないですね。
猟奇でディープな世界観を感じさせてくれます。
私なんぞは足元にも及びません。
コメントありがとうございました。
Commented by 小丸 at 2015-11-03 16:37 x
勿体のうございます。
Kiku さまのお掲げになりました愛と死の妄想のテーマに魅せられこの一週間、
ひっそりと市井の裏に棲むこの身がはしたなくも心の底まで曝け出してしまって,,,,,

“こんなこと小丸(こまる)”とお叱りを受けると思っておりましたが、暖かいお声をかけていただき、ただただ嬉しうございました。

母譲りの小烏小丸を夜な夜な抱きしめ寝過ごす多淫なこの身....

でも一人娘はまだ五歳になったばかり....
大切な“女の愛と死のさだめ”を訓えるにはまだ少し早いか、と.....
まだ逝けませぬ、せめてあと二年、この子が七つになったなら....

それまで待っててくれるかと...
どうかなにとぞ、スマホやアニメなんかに侵されないでと...
その時のためにKiku さまと交わした大切なこの対話を手本とし、

七五三(しめ)の祝いに手に手を取って、母が伝授の婦道を訓える!

“婦道と云ふは死ぬこととみつけたり”(葉隠から)

そう、大事なお勤めが無事に済んだらあとは望み通りお腹を召して...逝く!

ああ、身はたとえ市井の闇に朽ちるとも、

―“絶滅危惧種は絶えませぬ”―
Commented by kikuryouran at 2015-11-03 21:14
> 小丸さん
婦道に殉じるお覚悟、確かにお聞きしました。
しかし、まだ春秋のある身とお見受け申します。
お腹を召すのは妄想だけで済まされることを祈っております。

淫らこそは生命の源、女の性とのお考えは尤もと賛同いたします。
春情の極まりを会得されるためにご精進なさいませ。

時々はお心の一端なりとご披露頂ければ励みにさせて頂きます。
by kikuryouran | 2015-10-28 00:29 | 平成夢譚 | Comments(12)